桜田淳子6@70年代画像掲示板
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桜田淳子6 (60) 見た人の数 → 4232

1 FjSlm.1zAk (19/09/25 01:41)
前スレ ttp://002.shanbara.jp/70s/html/junkobox006_1/
の続きです。70年代に、最も好きだったアイドルです。

画像は、2003年発売のCD「桜田淳子BOX〜そよ風の天使」の、
ブックレットの2ページ目の下中央のカットです。
74年初め頃、15歳の最後の頃の淳子だと思います。


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2 hkUEsVi.1w (19/09/29 00:35)
月刊平凡の74年4月号の、フィンガー5の3人との共演グラビアの1ページ目です。
フィンガー5は、淳子より早くデビューしますが、売れない時代があり、
淳子のデビューと同じ73年に、「個人授業」が大ヒット。
アイドルのヒット曲は、50万枚が上限といわれていた時代に、「個人授業」「恋のダイヤル6700」
「学園天国」と、70〜80万枚を売り上げる大ヒットを連発し、飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃です。
新御三家や中3トリオのようなトップアイドルが、中学・高校生をファンの対象にしていたのに対し、
小学生までファンとして取り込んだのが、レコードセールスを伸ばした理由でしょう。
このファン層の低年齢化は、ピンク・レディーへ受け継がれました。


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3 hkUEsVi.1w (19/09/29 00:59)
月刊平凡の74年4月号の、フィンガー5の3人との共演グラビアの2ページ目です。
5人兄弟のフィンガー5の内、三男の正男が淳子と同学年で、メインボーカルだった四男の
アーチャンこと晃が、淳子より3歳年下、最年少の妙子が淳子より4歳年下です。
「大好きで大好きで、そばによると口もきけないホド」という晃ですが、
口は聞けなくても、手を出すのは早く、まだ子供だからという理由で、
何と淳子のお尻を触った事を、後に告白しています。
「もう10年早く生まれてたらなァ」。同世代が好きな淳子は、3年早く生まれていただけで、
ボーイフレンドぐらいには、なれていたかも知れません。
晃のサングラスを拝借している淳子も、興味津々といった感じです。


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4 /JqfqauMBU (19/10/02 23:30)
月刊平凡の74年4月号の、フィンガー5の3人との共演グラビアの3ページ目です。

淳子がデビューした73年は、後の82年組と並ぶほど、人気アイドルがデビューした豊作の年でした。
デビュー順に、前年11月のアグネス・チャン、2月の淳子、4月の浅田美代子、
5月の山口百恵、9月のキャンディーズ。82年組と異なるのは、男性アイドルがいない点です。
82年にはシブがき隊がいました。フィンガー5は、73年より早くデビューしていますが、
ブレイクしたのが73年なので、シブがき隊に相当する存在かも知れません。
メイン作曲家が、フィンガー5は井上忠男、シブがき隊は井上大輔ですが、二人は同一人物です。


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5 e2203X2LC. (19/10/03 00:15)
月刊平凡の74年4月号から、淳平かわら版の1ページ目です。
デビュー1周年に発売された「三色すみれ」は、山田洋次監督の「同胞」で、
テレビでこの曲を歌っている淳子の姿が、写っていました。
翌75年に公開されたこの映画は、淳子が涙を流して感動したと言っていたので、私も見ました。
地方を回る小劇団が、舞台公演にたどり着くまでの話ですが、80年代から舞台に進出した淳子は、
この映画の事が、頭の片隅にあったのかも知れません。
「男はつらいよ」15作目に出演したのも、きっと山田洋次監督作に出演したかったからでしょう。


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6 2U0GhubUn2 (19/10/07 23:10)
月刊平凡の74年4月号から、淳平かわら版の2ページ目です。
「カリキュラ・マシーン」懐かしいです。「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」の教育番組版みたいな内容で、
出演者も、被っていた人が多かった感じでした。
毎日放送する15分の帯番組だったので、淳子が出演しない回も多く、その時はがっかりしました。
映画「涙のあとから微笑みを」は、まだ見れません。
「ひとつぶの涙」を放送した衛星劇場に、期待しましょう。
秋田から上京した時の転校で、数学が分からなくなったと言っています。
数学は積み重ねで習うので、転校したり、学校を欠席して、分からなくなるアイドルが多かったです。
4センチ背が伸びたのは分かるけど、「特に足が長くなったでしょ。」は、
座高の変化が書いてないので、?です。足の長さを公表していたのは、男性アイドルだけでした。
(すぐ後に、浅野ゆう子が、股下99cmという、本当とは思えない数値を公表しました。)




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7 2U0GhubUn2 (19/10/07 23:24)
月刊平凡の74年4月号から、淳平かわら版の3ページ目です。
淳子の物マネは、歌マネ(声)より形態模写の方が得意なので、雑誌に載せても分かります。
この中では、やはり森田健作が似ているかな? 他に、新御三家の3人も、真似ていました。
この頃は、淳子がマネをする方でしたが、後にマネされる方に変わるとは、
当時の淳子は、思っても見なかった事でしょう。
ちなみに、歌マネが上手い森昌子に、「どうすれば、上手く歌マネ出来るの?」と、
相談していたそうです。何年か前に、森昌子がバラしていました。


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8 a0A8uVBxh. (19/10/11 21:42)
月刊平凡の74年4月号から、どこの学校 受験するの?のコーナーです。
中3トリオ3人の部分を載せます。
付属の品川中学から、一応入学試験はあったいう品川高校に進学する事が決まった淳子以外は、
この時点(平凡の発売は、74年2月23日)では、まだ受験した高校を秘密にしています。


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9 a0A8uVBxh. (19/10/11 21:45)
月刊明星の74年4月号から、プレゼントコーナーです。
品川高校に進学する事が決まった淳子が、帽子(エンジェルハット?)とノートをプレゼントしています。


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10 kDTWVeLAMc (19/10/16 01:37)
74年2月25日リリースの4thシングル「花物語」のジャケットです。
前作「花物語」と同様、マイナー調の楽曲ですが、この曲はセリフ無しです。
「花物語」よりも起伏に富んだメロディであり、初期の中村泰士作曲のシングルの中では、一番好きです。
何事にも一生懸命になる淳子が、感情を目一杯込めて熱唱する姿が、印象的でした。
出だしの「手を出せば散りそうな そんな花びらを」の後、
顔の前から右手を2度遠ざける振りが、ユニークで良かったです。
今から振り返って思うと、この振りも、演劇的な表現の得意な淳子にピッタリという感じですが、
当時は、そんな事は全然考えず、可愛い振りだなと思って見ていました。


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11 kDTWVeLAMc (19/10/16 01:46)
↑10の訂正:4thシングル「花物語」→5thシングル「三色すみれ」

5thシングル「三色すみれ」のジャケット裏です。
B面の「あなたのひとりごと」は、初めて買った淳子のアルバム「ベストコレクション75」に
収録されていたので、リアルタイムに近い時期に聞く事が出来ました。
5thシングル以降は、B面も収録されているベストアルバムでした。
この曲のように、失恋の詩を、明るいメロディに載せて歌う淳子の曲が、好きでした。


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12 0hrn85Lyh2 (19/10/22 22:11)
月刊平凡の74年4月号には、スタ誕を始めとする当時のテレビオーデション番組に関する記事が、
4ページに渡って載っています。その1ページ目です。
スター誕生(スタ誕)は、一発勝負形式(高校野球と同じトーナメント式)を採用しているため、
勝ち抜くと毎週出場する勝ち抜き形式とは違い、アイドルに最も重要な新鮮さを重視出来ました。
そのため、スタ誕より後発のテレビオーデション番組は、スタ誕を真似て一発勝負形式にしました。
ちなみに、次ページに書いてある出身歌手以降では、74年デビューの伊藤咲子、75年の岩崎宏美、
76年の新沼謙治・ピンクレディー、78年の石野真子、80年の柏原よしえ、
82年の小泉今日子・中森明菜、84年の岡田有希子が、スターになりました。
女性人気アイドルが多いのは、新鮮さを重視する形式と、初期の中3トリオの大ブレイクで、
女性の応募者が多かったためだと思います。彼女たちは、オーデションの時、中3トリオ等のスタ誕アイドルの曲を歌っう事が多かったです。特に、覚えやすかった淳子や岩崎宏美の曲が多かった印象があります。


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13 0hrn85Lyh2 (19/10/22 22:57)
月刊平凡の74年4月号から、テレビオーデション番組に関する記事の、2ページ目です。
スタ誕の約2年前からスタートした全日本歌謡選抜は、勝ち抜き形式なので、歌唱力で判断されるのは
当然であり、演歌が中心になっていました。売れないプロ歌手も参加出来る点がユニークで、
五木ひろしは、この番組に10週勝ち抜いて、改名して成功しました。
次ページに書いてある出身歌手以降では、72年に勝ち抜きの天童よしみ(ブレイクは90年代)、
73年の中条きよし、76年の山本譲二(ブレイクは81年)が、スターになりました。
74年に「いとこ同士」でデビューした有田美春は、好きでしたが売れませんでした。

ちなみに、スタ誕でデビューして、あまり売れなかったけれども好きだったアイドルは、
74年「目かくし」の石江理世・「人魚の夏」の小林美樹・「白い羽根」の柴葉子、
75年「好奇心」「感情線」の黒木真由美、78年「パステル・ラヴ」の金井夕子、
79年「ルフラン」の井上望、80年「スタア」の甲斐智枝美、82年「キラリ・涙」の水谷絵津子、
83年「ひとりぼっちは嫌い」「Oh! 多夢」の高橋三枝 です。


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14 ElRsIRXzMI (19/10/28 01:53)
月刊平凡の74年4月号から、テレビオーデション番組に関する記事の、3ページ目です。
歌う新人王決定戦は、スタ誕や全日本歌謡選抜のNTVに対抗してTBSが作った番組ですが、
1年しか続きませんでした。前ページに書いてある出身歌手以降では、74年デビューの浅野ゆう子が、
70年代末にグラビアで、80年代末にトレンディードラマで、ブレイクしました。
君こそスターだ!は、フジテレビ主催の番組で、スタ誕の次に人気がありました(6年半続いた)。
前ページに書いてある第一回グランプリの林寛子以降では、77年デビューの高田みづえ、
78年デビューの石川ひとみ(ブレイクは81年)が、スターになりました。
ビッグスペシャルは、NET(テレビ朝日)と渡辺プロが、スタ誕に対抗して作った
「スター・オン・ステージ あなたならOK!」の後番組です。前ページに書いてある、あいざき進也も、
前番組の出身です。この後NETは、渡辺プロ抜きで、決定版・あなたをスターに!を作り、
75年デビューの岡田奈々、77年デビューの大場久美子が、スターになりました。



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15 ElRsIRXzMI (19/10/28 02:14)
月刊平凡の74年4月号から、テレビオーデション番組に関する記事の、4ページ目です。
前ページの昌子に続き、淳子・百恵のアドバイスも載っています。
淳子が言っている「自分を飾らずにありのままを素直に示す事。人のマネは絶対にさけるべきよ。」は、
審査員が、良く言っていた事です。昌子の「歌手っていうのは個性が重要だから〜。」も、同じ意味です。
林寛子の、「歌詞なんか歌の途中で間違えても、知らん顔して歌った方がいい。」は、
子役出身で、新人の頃でも「ふてぶてしい」と言われたカンコらしい発言です。


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16 iX8AEK480k (19/11/01 00:50)
月刊平凡の74年5月号の、高一トリオの遠足の1ページ目です。
5月号は、3月23日発売なので、まだ高校生にはなっていませんが、
一足早く「中学生サヨナラーッ」しています。


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17 iX8AEK480k (19/11/01 01:12)
月刊平凡の74年5月号の、高一トリオの遠足の2ページ目です。
トリオになると、1年先輩で、スタ誕1期生の昌子がセンターになる事が多かったです。
6月頃のテレビ番組に森昌子が出演した際、欽ちゃんが、
「淳子ちゃん・百恵ちゃんという、バリバリのアイドル二人に囲まれ、
 絶えず二人を応援するファンの掛け声を聞きながら、センターを努めていた昌子ちゃんは偉い。」
と褒めていました。このカットでも、二人に指さされながら、三枚目を演じています。


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18 BZmBZWZGWk (19/11/04 23:53)
月刊平凡の74年5月号の、高一トリオの遠足の3ページ目です。
淳子がポリタンクの水を流し、それを飲む百恵ちゃんの姿や、
疲れて座り込んだ百恵ちゃんを、淳子と昌子が引っ張りあげようとする姿は、
他じゃめったに見られません。3人一緒ならではのカットです。


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19 FBCOMPQicY (19/11/05 00:08)
月刊平凡の74年5月号から、中3トリオが進学する高校の1ページ目です。
百恵ちゃんは、日の出女子学園を受験。受験番号ラッキーセブンのご利益もあってか、見事合格。
ちなみに3人の中で、転校せずに、3年間同じ高校に通い続けたのは、百恵ちゃんだけでした。


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20 b2xqud1A8. (19/11/09 00:57)
月刊平凡の74年5月号から、中3トリオが進学する高校の2ページ目です。
マコは、合格が決まるまで、かなりイライラしていたとの事。(次ページに書いてあります。)
そのマコが、1年の途中で堀越高校に転校する事になります。


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21 b2xqud1A8. (19/11/09 01:27)
月刊平凡の74年5月号から、中3トリオが進学する高校の3ページ目です。
淳子は、品川中学から品川高校にエスカレーター式に進学します。
一応試験があり、前日は夜中の3時まで勉強したあたりが、まじめな淳子らしいです。
品川高校へ進学し、7歳年上のお姉さんが就職のため上京して、おばさんの家から引っ越して、
一緒に住む事になり、そのマンションから通っていました。
しかし、翌年2月にマンションで、お姉さんが暴漢に襲われそうになった事から、
安全のため、社長宅に引越します。(サンミュージックの社長宅に住むシステムは、こうして始まりました。)
社長宅から品川高校まで通学すると、片道1時間半かかるので、2年に進学する時、
やむなく近くの国本女子高校に転校する事になります。


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22 kpb0WxDdCY (19/11/13 00:01)
月刊平凡の74年5月号から、スターと電話でデートの1ページ目です。
淳子が8回目になるこの企画は好評で、80年代まで続きました。


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23 kpb0WxDdCY (19/11/13 00:27)
月刊平凡の74年5月号から、スターと電話でデートの2ページ目です。
阿久悠がテレビで厳しく見えるのは、スタ誕の審査員長という立場だからでしょう。
作詞家としては、優しかったはずです。それに対し、歌手としての歌唱力がまだ未熟な、
デビュー前の淳子に、中村泰士は厳しいレッスンを課したのでしょう。
歌手としてよりも役者としての淳子の方が、上手く感じるのは、
本職が歌手という目で見ているからだと思います。
百恵ちゃんのように、歌手と女優業をほぼ均等に行うのではなく、
70年代の淳子は歌手としての仕事が多かったです。
それは、アイドル歌手として通用する間に活躍させ、その間に女優としての基礎を身に付けさせるという、
サン・ミュージックの戦略であり、歌手と女優業をほぼ均等に行うホリプロの戦略とは、明らかに異なります。


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24 RDMyYkqarc (19/11/17 00:05)
月刊平凡の74年5月号から、スターと電話でデートの3ページ目です。
中学二年の途中で上京したのだから、秋田の地理が良く分からなくても当然でしょう。
(確か学校の授業でも、地理は苦手と言っていました。)
森田健作をお兄さんって感じ。と言っていますが、2ヶ月前の明星の対談では、
その「お兄さん」に向かって、キビシイ突っ込みを入れていました。
今でもマスコミに突っ込まれている森田健作は、きっと突っ込みどころ満載のキャラなのでしょう。
秋田時代はグループ交際していた淳子ですが、芸能活動を始めてからは、
「気が多い」のが悪かったのか、特定の彼が出来ませんでした。


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25 RDMyYkqarc (19/11/17 00:11)
月刊平凡の74年5月号から、特技公開のコーナーです。
この、舌が鼻に付く特技は、テレビの歌番組でも披露していたと記憶しています。
頼まれると何でもやってしまう、淳子の積極的な性格が伝わってきます。


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26 OxhoZb9ZTw (19/11/21 00:31)
月刊明星の74年4月号の、ザ・デストロイヤー宅訪問のカラーグラビアは、前に載せたので省略します。
これは同じ号の、JUNKO欲求不満の詩の1ページ目です。
デビュー2年目に入り、仕事がより忙しくなった淳子が、やりたい事を列記しています。
男の子に対して「気が多い」だけでなく、やりたい事も多かった淳子です。
こうして書く事によって、欲求不満の一部を解消していたのでしょう。


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27 OxhoZb9ZTw (19/11/21 00:55)
月刊明星の74年4月号の、JUNKO欲求不満の詩の2ページ目です。
12時間以上眠らなけれな満足しない淳子は、朝が苦手で、目覚まし2台鳴っても聞こえない状態。
大森のおばさん(母親の妹)の家に居候していた淳子は、
従兄弟3人に交互に起こされ、ようやく起きていました。
デビューした年は、義務教育という事もあり、午後の授業も受けられました。
しかし、サン・ミュージック所属時の契約として、高校を卒業させる事があったにも関わらず、
品川高校への進学が決まった途端、午後は仕事で早退するようになってしまいました。
74年〜松田聖子がブレイクする80年まで、サン・ミュージックの屋台骨を支える役目を担ってきた淳子の、
忙しい芸能生活の始まりでした。人気アイドルになっても、電車通学を続けていたので、
ファンの男の子に追いかけられるのは、当然でしょう。


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28 iXcck6/Ihg (19/11/25 02:04)
月刊明星の74年4月号の、JUNKO欲求不満の詩の3ページ目です。
頼まれなくても、淳子のノートに、授業を休んだ分の内容を書いてくれる友達がいるから、
クラスメート達と別れたくないので、品川高校への進学を選びました。
百恵ちゃんにライバル意識を感じるか、との週刊誌の質問に、「そんな気持ちゼンゼンない」と答え、
仲の良い友だちと言っています。西城秀樹が亡くなった後、野口五郎が、
「お互い、相手の良い部分を吸収し合い、自分が成長する糧にするのがライバル。」と答えていました。
新御三家は、そういう意味ではライバルだったと思います。
しかし、淳子と百恵、昌子、伊藤咲子、後にデビューする岩崎宏美は、ライバルというより、親友でしょう。
仕事を離れた私生活での相談が出来るのが、親友だと思います。
百恵ちゃんからの年賀状では「賞をもらった事が、私のことのようにうれしい。」と書いていますが、
楽屋では、淳子が好きな理科の先生とそっくりな歌番組のディレクターが、淳子と顔を合わせて、
淳子の顔が真っ赤になるのを、横で冷やかす百恵ちゃん。二人が親友である事が伝わるエピソードです。


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29 iXcck6/Ihg (19/11/25 02:49)
月刊明星の74年4月号の、JUNKO欲求不満の詩の4ページ目です。
大事な末っ子の淳子を、東京に出して、両親は心配だった事でしょう。
その事を、淳子も良く分かっていました。家では、母親が送ったセーターを着て、
父親からの電話を待つ淳子。それにしても、当時は何で長距離電話の料金が、あんなに高かったのでしょう。
携帯が普及してから、競争のためか、一気に値下がりしました。
洗剤やトイレットペーパーが、オイルショックで不足する意味が、当時は良く分かりませんでした。
きっかけは、当時の某大臣の「紙節約の呼びかけ」が、日本中にパニックを引き起こしたようです。
仕事中に、過激なファンからアイドルを守る事は、天地真理の頃から大勢のスタッフが行っていましたが、
中3トリオでアイドルが低年齢化するとともに、ファンも低年齢化し、アイドルの私生活にも
介入するようになりました。淳子がその筆頭だったかも知れません。ここに書いてあるような
ファンの行動から、アイドルを守るために、親衛隊が生まれました。


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30 Rxm9fAeX42 (19/11/29 00:19)
月刊明星の74年4月号から、小さな記事です。
中学を卒業する頃の淳子と昌子が、一緒に出演しているドラマ「てんつくてん」の中でも、
中学卒業を扱うというので、バス旅行した事が、載っています。
昨年のNHKのEテレで、アイドルの論文を紹介する番組があり、
70〜80年代アイドルは、アイドルの私生活を紹介する月刊明星が育てた。月刊明星が、
スター中心から、そういう誌面作りに方向転換したのは、「スター誕生」がきっかけだった。
という内容でした。「スター誕生」と同じNTV系のドラマなので、
ドラマも、アイドルの私生活(卒業)に、寄り添っていたのかも知れません。


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31 Rxm9fAeX42 (19/11/29 00:30)
月刊明星の74年4月号の付録の歌本から、「三色すみれ」の歌詞と音符です。
同系統の前作「花物語」の歌詞も載っています。
月間平凡の付録の歌本「平凡ソング」は、ほとんどが白黒で、新聞のような紙だったので、捨てました。
月刊明星の付録の歌本「ヤングソング」は、カラーや2色刷りが多かったので、
淳子の分だけ、切り取って保存していました。(新曲の時だけ)


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32 qItLTOZLfI (19/12/04 01:30)
76年2月1日発行の単行本「桜田淳子のすべて」の、142〜143ページ目です。
「誕生からデビューまで」の後半で、これを含めて残り14ページです。
スター誕生の1次、2次予選に合格した様子が書いてあります。
予選は700人も集まるので、1次予選では一人15秒ぐらいしか歌えません。
1日で700人を審査するには、このぐらいハイペースだとの事です。
淳子は、予選会に並んだ大勢の参加者に混じっていても、ひときわ輝いて見えたそうです。
審査委員長の阿久悠は、淳子がオンチじゃなければいい(優勝する)と、願ったそうです。
以上、3年前ぐらいにCSで放送された、水道橋博士の中3トリオの番組に出演していた
スタ誕のプロデューサーが話した内容です。


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33 qItLTOZLfI (19/12/04 02:01)
単行本「桜田淳子のすべて」の、144〜145ページ目です。
スタ誕のテレビ予選は、二次予選で合格した14人を、7人づつに分け、2週分を収録します。
合格者無しの回も多々あったので、1週目の菅原昭子が合格した後の2週目では、
合格者無しの可能性も高かっただけに、合格を目標にしていたら、プレッシャーを感じていた事でしょう。
しかし淳子は、テレビに出て歌う事が目的だったので、あがらなかったのが、良かったのでしょう。
(森昌子はデビューしたばかりで、まだその活躍が伝わっていなかったのも、良かったかも。
 もし活躍が伝わっていたら、淳子の性格として、合格を意識していたかも知れません。)
得点を表示する電光掲示板は、数字が動き続け、得点の低い挑戦者から数字が止まって得点が表示される
システムなので、スタ誕史上最高(淳子の後の合格者を含めて)の573点を取った淳子は、
なかなか数字が止まらなかったはずです。
ちなみに、会場の一般審査員が500点を、五名のプロの審査員が500点を入れるシステムで、
250点以上が合格ラインでした。


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34 mKP5fDciig (19/12/08 00:17)
75年3月15日発行の写真集「近代映画ハロー」の、10ページ目です。
次ページと繋がる風景です。(淳子の手の一部が写っていますが)


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35 mKP5fDciig (19/12/08 00:26)
写真集「近代映画ハロー」の、11ページ目です。
澄ました表情をすると、横顔も綺麗です。73年は、可愛いけれどもあどけない表情、
74年は、人気アイドルとして自信が出てきた頃の可愛い表情、
75年からは、可愛らしさの中に美しさが垣間見られる表情へとステップアップして行き、
79〜80年頃には、笑顔まで可愛いというより、美しくなりました。


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36 kYPXYLPRsw (19/12/13 01:04)
単行本「桜田淳子のすべて」の、146〜147ページ目です。
テレビ予選に合格した淳子が、東京の決戦大会に進む事を反対した母親ですが、
もし途中で止めたら、淳子にとって一生後悔が残るかも知れないと思い、決戦大会出場を許可しました。
もしスカウトされたら、その時点で断るつもりだったのでしょう。
淳子が言っているように、近視で観客の顔が見えなかった事も、あがらずに歌えた一因です。
決戦大会では、落ちても東京見物が出来るのだから、と軽い気持ちで歌った事が良かったと思います。
しかし決戦大会の前に、スカウト陣が淳子勧誘に向かって、すでに火花を散らせていました。


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37 kYPXYLPRsw (19/12/13 02:08)
単行本「桜田淳子のすべて」の、148〜149ページ目です。
歴代最多の25社からスカウトしたいという意思のプラカードが上がった淳子。
「決定した瞬間客席にいた森田健作さんが間髪を入れず花束を淳子ちゃんにプレゼントした。」
と書いてあります。淳子の日記(後で、載せます。)にも書いてあるので本当でしょう。
スタ誕の資料では、この時のゲストは森進一と奥村チヨだったので、サンミュージックが、
淳子の履歴書を読んで、役者志望だと言う事を知り、淳子獲得のために、
事前に会場でスタンバイしていたのでしょう。
25社のスカウト陣は、1社数分で入れ替わり、自社のPRをしたそうですが、サンミュージックは、
「うちに来れば、ドラマで共演出来るよ。」と言って、所属の森田健作と水前寺清子の名前を挙げました。
芸能界入りに反対する両親に対し、秋田に行って、「必ずスターにするとは約束出来ません。
しかし3年後に、立派な娘に成長させる事は、必ずお約束します。」と言って、口説き落としました。
(後に、岡田有希子の時にも、同じ口説き文句を使い、デビュー2年後の悲劇につながってしまう。)


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38 Ve0VtM/FUs (19/12/16 23:54)
写真集「近代映画ハロー」の、12ページ目の上です。
新幹線(かな?)に座って、雑誌(漫画雑誌っぽい)を広げている淳子。
実際は近眼なので、写真集用にポージングされたカットでしょう。


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39 kKJ5uHn2UQ (19/12/17 00:00)
写真集「近代映画ハロー」の、12ページ目の下です。
ローカルな風景と書いてあるので、普通の電車かも知れませんね。
微笑んでいる横顔も、可愛らしさと美しさが同居した素敵な笑顔です。


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40 RkPCuCT62g (19/12/21 01:04)
単行本「桜田淳子のすべて」の、150〜151ページ目です。
歌手デビューと上京する日が決まって、秋田西中最後の日の事が書いてあります。
半分しか出来ていなかったパジャマを、最後に完成させるあたり、
何事にも手を抜かない淳子らしいエピソードです。
歌手デビューが決まってから、最初に歌ったのが、秋田西中の級友の前とは、
幸せな歌手人生のスタートです。


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41 RkPCuCT62g (19/12/21 01:50)
単行本「桜田淳子のすべて」の、152〜153ページ目です。
級友たちの寄せ書きのプレゼントに、うれし涙を流す淳子。
それまで「涙を見せたことのない淳子」と書いてあるので、
スタ誕のグランドチャンピオンになった時も、泣かなかったのでしょう。
自分の事よりも、周りの人たちが自分にしてくれた事に対して、うれし涙を見せる淳子です。
最優秀新人賞を取った時も、周りのスタッフの一生懸命さを思って、涙が出てきたそうです。
淳子にとって大切な寄せ書きは、1stアルバムに収録された「よせがき」という曲にもなりました。
淳子より2年先輩の野口五郎は、故郷の岐阜を離れる中学2年の時にもらった、級友たちの寄せ書きを、
なんと燃やしたそうです。歌手として売れるまで、故郷の事を思い出さないためだったそうです。
たった3年の違いですが、アイドル歌手が誕生する前の69年の状況と、
アイドル歌手が次々と活躍し始めた72年の状況の差が、良く分かるエピソードです。


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42 jldDhwTp.E (19/12/25 00:59)
写真集「近代映画ハロー」の、13ページ目です。
身長がデビュー時の155cmから161cmに伸びても、体重43kgは変わらないと言っていた淳子の、
スリムで、スタイルの良い身体が目立つカットです。
もちろん、可愛い顔も魅力的です。卵型というより、丸顔に近い顔の輪郭で、
これだけ身体が細いアイドルは、珍しいと思います。


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43 jldDhwTp.E (19/12/25 01:14)
写真集「近代映画ハロー」の、14ページ目です。
横を向いているので、細い肢体が、さらに細く見えます。
淳子は、卵型と丸顔の中間ぐらいの顔の輪郭なのに、顔が小さいというアイドルの条件を満たしていますが、
身体が細いために、相対的に顔が大きく見えてしまう場合(このカットなど)があり、
それを補うために帽子を被る事が、良くありました。




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44 yXlQRPHEbU (19/12/29 00:14)
単行本「桜田淳子のすべて」の、154〜155ページ目です。
両親だけではなく、先生やクラスメート40人の大合唱の中、故郷を後にした淳子は、
幸せと感動を噛み締めていたと思います。
東京から遠く離れた地方、特に東北では、東京との交通機関のほとんどを国鉄(当時)に依存していた時代の、
ホームでの別れの情景が伝わってくるエピソードです。



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45 yXlQRPHEbU (19/12/29 00:18)
単行本「桜田淳子のすべて」の残りは、ディスコグラフィーなので省略して、裏表紙カバーです。
74年初め、「花物語」を歌っていた頃の淳子が、裏表紙になっています。


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46 BRxbPDjBcY (20/01/02 02:13)
この記事は削除されました
47 BRxbPDjBcY (20/01/02 02:15)
ちょっと遅れたけど、明けましておめでとう。
月刊平凡の74年2月号から、晴れ着姿です。
淳子は好きな白を基調とした晴れ着です。百恵ちゃんは赤の晴れ着、
昌子ちゃんは白と赤を組み合わせた晴れ着で、中3トリオのリーダーとして、
バランスを考えていたのでしょう。


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48 BRxbPDjBcY (20/01/02 02:29)
このスレの残りは、76年5月10日発行の、桜田淳子の本「ようこそ淳子です」を貼って行きます。
これは、その表紙です。本と銘打っていますが、月刊明星と同じ大きさのムック本です。
このムック本には、4年間の淳子の日記が載っていて、約4割を占めている中心的存在です。
本来は、単行本として出版するようなボリュームですが、敢えてムック本に入れたのは、
より多くの読者に読んで欲しかったからでしょう。


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49 XnCm/x3ksU (20/01/06 01:00)
桜田淳子の本「ようこそ淳子です」の、11ページ目です。
目次によると、表紙が1ページ目、その裏(淳子と関係ない広告)が2ページ目、
直筆の文字(3行のみ)が3ページ目、目次が4ページ目、
ピンナップと引き出し口絵が5〜10ページ目です。2〜4ページ目は、省略します。
ピンナップと引き出し口絵は、見つかったら載せます。(切り取っていました。)


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50 XnCm/x3ksU (20/01/06 01:13)
桜田淳子の本「ようこそ淳子です」の、12ページ目です。
「淳子からあなたへ」と題したカラー写真とメッセージ文が、15ページに渡って載っています。
カラー写真は、グァム島で篠山紀信が撮影しています。
これは、その2ページ目です。朝に弱いはずの淳ぺーですが、グァム島へ来ると違うようです。
日本では遅刻スレスレで学校へ直行するのに、ここでは秋田を思い出す大自然があるからでしょう。


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51 iZtcxOW6V2 (20/01/10 00:56)
桜田淳子の本「ようこそ淳子です」の、13ページ目です。
「私はまだ子供なんですから。」
75年の淳子は、大人っぽいファッションを好み、歌う歌も等身大かちょっと背伸びした歌詞になりました。
(口の悪い音楽評論家は、歌の山口百恵化だと言っていました。)
でも76年の淳子は、大人っぽいファッションはこれから年齢を重ねれば何時でも出来るので、
今しか出来ない若々しいファッションを好むように変化しました。
歌も、「夏にご用心」や「ねえ!気がついてよ」といった、淳子の個性を100%活かした曲を歌っています。


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52 iZtcxOW6V2 (20/01/10 01:10)
桜田淳子の本「ようこそ淳子です」の、14ページ目です。


(51の続き)
「私はまだ子供なんですから。」この発言も、若さを謳歌したいという意味なのでしょう。
その後、年を重ねる度、「恐ろしい。○○歳になってしまった。」とか、
「私が、○○歳だなんて信じられない。」という発言をよくしていました。
14歳でデビューした淳子にとって、中学3年〜高校3年までは、同世代のファンと、
一緒に成長して行く連帯感があったと思います。その連帯感を、
高校卒業後、どうして行くか悩んだ時期なのでしょう。
大学へ進学するか、仕事一本に絞るか、分岐点になりました。


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53 tVroNQQm5Y (20/01/15 01:27)
桜田淳子の本「ようこそ淳子です」の、15ページ目です。

(51の更に続き)
中3トリオを中心に、アイドルが低年齢化して行った73年以降の70年代。
それは高校卒業とともに、いままでのアイドルからのイメージチェンジを迫られる結果となりました。
中3トリオは、高3トリオで終わり、武道館で卒業コンサートを行います。
アイドルは永遠に続くものではなく、大人になると同時に終わる事を、
アイドルもファンも認識していた時代であり、そこが80年代アイドルと異なります。
高校を卒業した77年。淳子は「しあわせ芝居」で、百恵は「秋桜」で、同い年の岩崎宏美は「思秋期」で、
それぞれイメージチェンジを図り、大人の歌手へのステップを歩み始めました。



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54 tVroNQQm5Y (20/01/15 01:33)
桜田淳子の本「ようこそ淳子です」の、16ページ目です。
英字新聞を広げている淳子ですが、英語が苦手な淳子の顔は、新聞を見ずに斜め上を向いています。
ちょっと照れくさそうな笑顔が、可愛い淳子です。


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55 /giJt22.Zw (20/01/19 02:45)
桜田淳子の本「ようこそ淳子です」の、17ページ目です。
秋田生まれの色白の肌の淳子ですが、夏になると褐色の肌に焼いて、水着姿を楽しませてくれました。
76年は、GW公開の2作目の主演映画「遺書・白い少女」の中の、夏のシーンに合わせて、
冬にグァムへ行って、褐色の肌に焼いています。


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56 /giJt22.Zw (20/01/19 02:56)
桜田淳子の本「ようこそ淳子です」の、18ページ目です。

(17の続き)
17ページのカットでは、白のタンクトップを着て、珍しく胸を強調するポーズを見せています。
デビュー当時の淳子は、バスト78cmのペチャパイで(14〜15歳なので当たり前ですが)、
83cmの豊満なバストを持っている早熟な百恵ちゃんとは、格段の違いがありました。
淳子も18歳になる頃には、バストも成長し(公称は79cmですが)、胸の谷間が出来るようになりました。


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57 wLO5JHKv.. (20/01/23 01:55)
桜田淳子の本「ようこそ淳子です」の、19ページ目です。
「私の目は大きいしょ。」
デビュー当時、顔が似ていると言われた百恵ちゃんと、最も違っていたのが、
淳子は大きな目、百恵ちゃんは切れ長の目でした。
しかし大きな目のアイドルは、天地真理・麻丘めぐみ・浅田美代子と、沢山いました。
淳子は極度の近眼なので、大きな目を見開いて一生懸命に見ようとする仕草が、
自然で可愛らしかったので、より魅力的に見えたのでしょう。


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58 wLO5JHKv.. (20/01/23 02:09)
桜田淳子の本「ようこそ淳子です」の、20ページ目です。
淳子は、デビュー当時から体はスリムでしたが、顔はポッチャリ系でした。
目が大きくても、ぽっちゃりした顔なので、笑顔になると目が細くなりました。
16〜17歳にかけて、顔が痩せて卵形の輪郭になるに従って、笑顔でも大きくて魅力的な目になりました。
しかし、このカットの頃(18歳になる頃)は、顔も体も少しぽっちゃりします。


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59 qznsdetlPE (20/01/27 02:22)
桜田淳子の本「ようこそ淳子です」の、21ページ目です。
18歳になる頃、体が少しぽっちゃりしてきた事は、カモシカのような細い脚が、
少しぽっちゃりしているこのカットからも分ります。
この年(76年)の夏に全国縦断リサイタルを行いましたが、そのPRと体力作りを兼ねて、
「一人ぼっちの運動会」と題したイベントを行います。
その頃、「淳子は、痩せるためにサランラップを巻いて走っている」という週刊誌報道が出ましたが、
確かに、「夏にご用心」を歌う淳子のミニスカート姿は、カモシカのような細い脚に戻っていました。


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60 qznsdetlPE (20/01/27 02:43)
桜田淳子の本「ようこそ淳子です」の、22ページ目です。
2作目の主演映画「遺書・白い少女」からのカットと、それに関する文章が載っています。
75年に、百恵ちゃんが難病で死ぬ映画やドラマに主演していたので、
淳子も難病をテーマにした主演映画にしています。百恵ちゃんと違うのは、
淳子自身ではなく、恋人が難病にかかり、彼の看病と死を受け止める役を演じている点です。
難病が淳子のキャラクターに合わなかったのか、百恵ちゃんとの違いを明確にしたかったのか、
多分、その両方だと思います。


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